常位胎盤早期剥離の自験例
これから書くことは、ちっとも珍しくない、産婦人科医だったらだれしも一度や二度は経験しているような出来事です。
あれは5年ほど前だったか。
36週ごろの妊婦さんから夜9時頃電話。出血が少量あり、何となく腹緊があるとのこと。
(うーん、お徴だろうなー。もう少し様子みて規則的になってからでも良いかなー。)
「もしもし?おなかの張りはどれくらいですか?」
「そんなに強くないんですけど、まだ大丈夫でしょうか?」
「診察しなければ大丈夫かどうかは分かりませんよ。ご心配なら念のため来てください。」
「えー、今からですかー?」
「はい、今から来てください。」
こんなやり取りのあと、30分ほどしてから来院、そして内診。あれ?なんか出血が大目だぞ?
「いつから増えてきました?」
「ちょっと前です」「少し痛くなってきました」
結構子宮は収縮している。何かイヤな予感がする。いや、これは板状硬だ。
ドップラーで児心音聴取。……徐脈。疑念が確信に。
経腹エコー。胎盤が厚くなっている、早剥は確定的。児心音は持続性の徐脈。
近隣病院に連絡、すぐに搬送受け入れOKをもらう。しかし、ここから救急車で20分の距離。
夫に早剥の診断であると病状説明。
「赤ちゃんは助からない可能性が大です、あきらめてください。母体もこのままでは危険です。救命のために緊急搬送します。」
この時点ではかなり妊婦さんは痛みを訴えています。
分娩進行者がいましたが、そちらは助産婦にまかせて救急車に同乗。
結局、胎児死亡は免れませんでした。母体は術後にDICから乏尿となり、一時的に透析導入となったものの半月後には無事退院され、夫と二人で挨拶にみえました。
経過からみて羊水塞栓を発症したと思われる静岡の事例とは明暗分かれましたが、何が違うというほどの違いはありません。紙一重です。
もし、発症からもっと長時間経ってたら。
もし、DICがもっと重症だったら。
もし、羊水塞栓を発症したら。
もし、搬送先がなかなかみつからず、見つかった先が遠方であったなら。
かなりの確率でこの方の生命は今は無かったはずです。
この方がそうならなかったのは、運でしかありません。たまたまジャンケンに勝ったようなものです。